吉田廣均「蜀山道図」

吉田廣均「蜀山道図」

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商品名 「蜀山道図」
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本紙サイズ
作者 吉田廣均(1804〜1876)
制作年代 天保5年(1834)
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蜀山道(蜀桟道)とは、中国・四川省と陝西省を結ぶ険しい山道のこと。中国では古来より難所として知られ、また伝統画題として描き継がれてきたモチーフでもあります。実際の蜀桟道は断崖絶壁に貼り付くように渡された粗末な橋のようなものであったようですが、日本では文人画家たちによって、中国への憧れを内包した青緑山水としての蜀桟道図が数多く描かれました。なお落款より、本作品は宋代の画院画家・趙千里(号・伯駒)の模写であることがわかります。

山々が林立するダイナミックな構図の中を縫うように、曲がりくねった桟道が続きます。山の中腹から麓にかけて、所々に人馬が描き込まれています。荷物を下ろして一休みする一団、隊列を組んで麓へ辿り着いた一団……雄大な自然と小さな人間との対比が見事です。人物の一人一人、枝葉の一つ一つに至るまで丁寧に描き込まれており、作者の繊細な仕事ぶりがうかがえます。

天保5年(1834)、廣均30歳の折に描かれたこの「蜀山道図」は、若き廣均の瑞々しい才能をありありと伝えています。生涯にわたり多数の優品を残した廣均ですが、なかでも本作品は、彼の画業における最高傑作の一つに数えられましょう。
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吉田廣均(こうきん・1804〜1876)は、富山県出身の日本画家です。幼少より画を好み、のち京都に出て松村景文に日本画を、貫名海屋に文人画を学びました。山水花鳥にすぐれ、京都御所再建の折には学問所の杉戸に「花車図」を描きました。


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